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2022-05-14

正岡子規『逍遥遺稿の後に題す』“ Some haiku after Shoyo’s (中野逍遥’s ) posthumous ” by Shiki MASAOKA

Shiki MASAOKA and Soseki NATSUME were in a same school and they missed Shoyo, who died young.

Here's Shiki's morning in memory of the Kansi / 漢詩 poet.

正岡子規『逍遥遺稿の後に題す』

志士は志士を求め英雄は英雄を求め多情多恨の人は多情多恨の人を求む 逍遥子は多情多恨の人なり 多情多恨の人を求めて終に得る能わず 乃ち多情多恨の詩を作りて以て自ら慰む 天覆地載の間盡く其詩料たらざるは無し 紅花碧月以て多情を託すべし 暖煙冷雨以て多恨を寄すべし 而して花月の多情は終に逍遥子の多情に及ばず 煙雨の多恨は終に逍遥子の多恨に若かざるなり 是に於てか逍遥子は白雲紫蓋去って彼の帝郷に遊びて以て多情多恨の人を九天九地の外に求めんとす 爾来青鳥音を傳へず 仙跡杳として知るべからず 同窓の士同郷の人相議して其遺稿を刻し以て後世に傳へんとす 若し夫れ多情多恨逍遥子の如き者あれば徒に此書を読んで萬斛の涕涙を灑ぎ盡す莫れと爾か云ふ


春風や天上の人我を招く

いたづらに牡丹の花の崩れけり

鶴鳴いて月の都を思ふかな

世の中を恨みつくして土の霜