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2024-03-29

堀辰雄 『貝の穴に河童がゐる』 “ There is a Kappa in the Shellfish Hole ” by Tatsuo HORI

 貝の穴に河童がゐる

堀辰雄

 僕は読んでゐるうちに何かしら気味悪くなつてくるやうな作品が好きだ。そんな作品はめつたにあるものではないが。――

 去年のいま頃である。

 僕は「古東多万」第一号に載つた泉鏡花の「貝の穴に河童がゐる」と云ふ短篇を読みながらどうも気味悪くなつて来てしかたがなかつた。

 こんな筆にまかせて書いたやうな、奔放な、しかも古怪な感じのする作品は、あまりこれまで読んだことがない。かう云ふ味の作品こそ到底外国文学には見られない。日本文学独特のものであり、しかもそれさへ上田秋成の「春雨物語」を除いては他にちよつと類がないのではないかと思へる。

 僕はこの短篇を読んで気味が悪くてならなかつたと云つた。すると僕の友人の中にこの短篇を「なんと色つぽいのだらう」と云つてゐる者があつた。僕はそれを聞いてその説に賛成した。何故なら僕にとつてはそれがどちらでも同じことだからだ。

 萩原朔太郎さんが嘗つて僕にかう云つたことがある。「自分は怪談と云ふものを好まない。ちつとも怖いと思つたことがない。しかし、さう云ふ怪談にエロチックな要素が這入つてくると、それが妙に怖くなり出す。だから『牡丹燈籠』のやうな怪談だけは好きだ。」さう云ふ萩原さんの説は独特なものかも知れぬ。しかし僕はそれに対して全く意義がないようである。

鏡花のこれまでの作品はどちらかと云えば「雨月物語」の華やかな調子に近かつた。しかしこの「貝の穴に河童がゐる」だけは「春雨」と共に枯れ切つていると思つた。


現代仮名遣い


 僕は読んでいるうちに何かしら気味悪くなってくるような作品が好きだ。そんな作品はめったにあるものではないが。――

 去年のいま頃である。

 僕は「古東多万」第一号に載った泉鏡花の「貝の穴に河童がいる」と云う短篇を読みながら、どうも気味悪くなって来てしかたがなかった。

 こんな筆にまかせて書いたような、奔放な、しかも古怪な感じのする作品は、あまりこれまで読んだことがない。こう云う味の作品こそ到底外国文学には見られない、日本文学独特のものであり、しかもそれさえ上田秋成の「春雨物語」を除いては他にちよっと類がないのではないかと思える。

 僕はこの短篇を読んで気味が悪くてならなかったと云った。すると僕の友人の中にこの短篇を「なんと色っぽいのだろう」と云っている者があつた。僕はそれを聞いてその説に賛成した。何故なら僕にとってはそれがどちらでも同じことだからだ。

 萩原朔太郎氏が嘗て僕にこう云ったことがある。「自分は怪談と云うものを好まない。ちっとも怖いと思ったことがない。しかし、そう云う怪談にエロチックな要素が這入ってくると、それが妙に怖くなり出す。だから『牡丹燈籠』のような怪談だけは好きだ。」そう云う萩原さんの説は独特なものかも知れぬ。しかし僕はそれに対して全く意義がないようである。

鏡花のこれまでの作品はどちらかと云えば「雨月物語」の華やかな調子に近かった。しかしこの「貝の穴に河童がゐる」だけは「春雨」と共に枯れ切っていると思った。



泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」

初出時の題名:「貝の穴に河童が居る」


“ There is a Kappa in the Shellfish Hole ” by Tatsuo HORI

Review of “ There is a Kappa in the Shellfish Hole ”

I like works that start to feel somewhat eerie as I read them. Such works are not common, though. —

It was around this time last year.

While reading the short story  “ 貝の穴に河童が居る (Kai no Ana ni Kappa ga Iru) ” , or “ There is a Kappa in the Shellfish Hole ” by Kyōka Izumi, which was published in the first issue of "Kototama," I couldn't help but feel uneasy. I had never read anything quite like this free-spirited yet strangely old-fashioned piece before. I feel that this kind of work is uniquely Japanese and, except for Ueda Akinari's “ Harusame Monogatari, ” there is hardly anything else like it in Japanese literature.

I mentioned that I felt uneasy after reading this short story. Then, there was a friend of mine who said, “ It must be so sensual. ” I agreed with that theory because it's the same thing to me either way.

Sakutaro Hagiwara once said to me, “ I don't like ghost stories. I've never found them scary at all. However, when erotic elements creep into those ghost stories, they start to become strangely scary. ” That's why I only like ghost stories like “ Botan Dōrō. ” Hagiwara's theory may be unique, but it seems meaningless to me.

Kyōka's previous works were closer to the glamorous tone of “ Ugetsu Monogatari. ”However, I felt that “ Kai no Ana ni Kappa ga Iru ” was withered along with “Harusame.”


Translation is my own